結局きょうも、さもあらばあれ

子離れせねばと思うこの頃…

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涙もろいんです

コープのカタログに、節分が近いからか、「おにたのぼうし」と「ないたあかおに」が載っていた。いずれも、あうが気に入っている本なので、買ってもいいかなと思ったが、あることで思い切れずにいる。
なにを隠そう涙もろい私は、カタログの写真をみただけで涙ぐんでいる。読み聞かせている最中に号泣してしまうので躊躇している。


今夜も、娘と読んでいた「魔女の宅急便 その4」でキキの母親が重い病気になってしまうくだりで涙が止まらなくなり、読み続けるのに苦労した。
はずかしながら、学校公開での道徳の授業で先生の朗読する「花さき山」であろうことか親の私が泣いてしまったこともある。緊張しすぎでたどたどしい読み方だったにもかかわらず、である。
涙がたくさんでると目も気分もすっきりする気がするので、人目(含我が子)がなくて業務に支障がなければかまわないのだが、そうではないので、困っているのだ。


思い起こせば祖母の葬儀のおりも、孫を代表してお別れの感謝の手紙を書いたのだが、読むのが大変だった。葬儀の前夜、手紙を書く段階ですでに泣きながらだったので、これでは最後まで読み続けられないと何十回も読む練習をしたが、何回読もうと慣れない。オットが文章と泣いて詰まってしまう場所を暗記してしまっても、だ。結局マシにはならず、私が読めなくなったときに続きを読んでくれと従妹に依頼したほどだった。本番でもまさに練習どおりに泣いてしまったが、その練習の甲斐あってか最後まで読み続けることはできた。葬儀だったので泣いてしまっても問題はないと私も思うのだが、「読む練習をしてしまうから本番では泣けなくなるものなのに」とほめ(?)られたのは不本意だった。


それにしても、日々、読み聞かせの途中で言葉につまり涙にむせぶ母親を見て、ぷうとあうはどう思っているのだろうか。ぷうは頻繁に涙を流す方ではないが、私がそういう箇所が来そうだという段階で思いっきり先に泣きはじめるので、泣くタイミングを逸してしまっているどころか、いいところなのに話が先に進まず没頭しきれないと思っている感がある。あうは、少し前は、泣いている私を心配して、なぐさめたり、本を怒って攻撃してくれたりいろいろやってくれたが、今では、言葉に詰まっていると顔を覗き込み泣いていることを確認するだけに留まっている。だいたい、悲しくないところ、主人公が頑張っている箇所などでも涙ぐんでしまうのは、ぷうはともかくあうの理解の範疇を超えているし。


母方の祖母は、本でも映画でも、「泣きそうになっても『こんなものは作り事だ』と頭で思えば泣かない」と母に話したことがあるそうだ。でも、体質が遺伝しなかったのか、私にはなんの効き目もない。読み聞かせは、数少ない趣味のひとつなので、子供たちにもういいと言われるまで続けたいのに、どうしたものか。徐々に度合いを増している気がするので、案外こんなどうでも良いことを真剣に悩んでいる今日この頃である。

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